YMO イエローマジックオーケストラ/ ライディーン:RYDEENのCD
曲名 | ライディーン:RYDEEN |
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歌 | YMO イエローマジックオーケストラ | |||||
CD | YMO作品集 | |||||
DVD | YMOのDVD | |||||
楽譜 | YMOの楽譜 | |||||
試聴(YOU TUBE) | ライディーンはこちらで試聴できます。 | |||||
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私の思い入れ
この曲との出会い
中学時代と記憶しています。近所の友達から教えてもらった。ちょっと暗〜い感じの少年。
おとなしい、別にいじめられてはいなかったけど、女子からは敬遠されがちな、ひょろっとした
少年。
近所という以外、何の繋がりもなかった。登校時に一緒になることが多かったかな。
僕は昔は怪我ばかりしていて、小学校の頃、腕の脱臼。そして中学の頃バスケット部の練習中、リバウンド時に
人の足の上に乗り、捻挫して骨折。当然松葉杖。
まわりから、「アイツまたキブスだぜ」って笑われた。しかも修学旅行直前。ちなみに小学校の修学旅行も
ギブス。小学も中学もギブスで修学旅行だ。
で、話がそれたが、それついでに。
その近所の彼はなんと、僕が松葉杖の間、頼みもしないのに、毎朝、ぼくのウチに来てくれて、
僕の鞄を持ってくれた。これはよく記憶しいている。
ちょっと陰のある、目立たない少年だったが、心優しい人だった。
で、そこから彼と仲良くなり、その彼から薦められたのがYMO。そしてスネークマンショーだ。
その頃、僕はエレクトロニクス少年(ラジオを作ったりするのが趣味)で彼も割りとその手の趣味を持っており、
お互い、ワイヤレスマイクを作り、手持ちのラジオで夜中、布団の中でコソコソ交信しあっていた。
夜中は電波の通りがいいからだ。
セピア色の思い出也。
エレ系へのみち
エレクトリックな曲を聴いたのはYMOのライディーンが始めてだった。
洋楽では「エレクトリック系」という分野が無かったにしろ、シンセを駆使したバンドは
多く生まれていた。オケっぽく使ったり。で、日本のバンドが、こんな曲を。当時としては衝撃的でした。
しかも、あの3人の雰囲気。エレ系のイメージも植えつけた、作り上げた3人は偉大だなぁ。
世界的にも影響を与えたし。但し、あの雰囲気はユキヒロ以外は「地」でいっているような気もする。
高校になっても聴いていたけど、オフコースは中学でほぼ卒業。
高校で洋楽に目覚め、そしてデペッシュモード、デュランデュラン、イレイジャー、トンプソンツィンズ・・・と
エレ系の道をひた走るのでした。
最近ではキリンのCMで再結成し、「RYDEEN 79/07」として録音。発売するのかしら?
ライディーン秘話
この曲は日本のイメージと「スターウォーズ」をヒントに作られたそうだ。
高橋幸宏が飲み屋で歌った鼻歌を後日、坂本龍一がスタジオで仕上げたとか。
出だしの「テッテケ、テッテケ・・」は馬の蹄の音。・・らしい。途中で「ピュ−ンピュ−ン」って
いうのはスターウォーズで出てくる電子銃の音。・・らしい。言われてみればそうかも。
どことなくオリエンタルな曲調。すべてが斬新だった。
YMOはゼロから「1」を生み出した。その後のバンドが1から100や万、億まで昇華させた。
無から1にしたYMOはやはり偉大だった。